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2007年5月15日 (火)

「俺は、君のためにこそ死ににいく」を観て来ました

Photo_29 「特攻の母」鳥濱トメさんの視点で若き特攻隊員たちの真実のエピソードを連ねて描かれた「俺は、君のためにこそ死ににいく」を観て来ました。製作総指揮は石原慎太郎、現東京都知事。

*あらすじ* 昭和19年の秋、太平洋戦争で圧倒的に不利な戦況に陥った日本軍は、米軍のフィリピン攻略を阻止すべく苦渋の選択をする。少ない戦力で敵と戦う最後の手段として戦闘機に250kgの爆弾を積んで敵空母に体当たりする特別攻撃隊を編成する決断をした。最初に選ばれた関大尉(的場浩司)らが作戦を決行するもマニラは陥落した。昭和20年の春、米軍が沖縄に上陸。沖縄を死守する為に鹿児島県の知覧飛行場は陸軍の特攻基地となり、終戦までに400余名の若者達が飛び立って行く事になった。軍指定の「富屋食堂」を構える鳥濱トメ(岸恵子)は特攻隊員から母のように慕われていた。特攻隊員を引き止める事も出来ず、複雑な想いを抱いたままトメは慈愛の心で隊員達を見守っていた。知覧で飛行訓練を受けた板東少尉(窪塚洋介)や朝鮮人でありながら特攻に志願した金山(前川泰之)、出撃と帰還を繰り返す田端少尉(筒井道隆)、その田端を臆病者と殴り倒す中西(徳重聡)等のエピソードを交えながら物語は進んで行く。

知覧は元々、少年飛行兵(15~18歳)の養成場だったそうです。日本の敗勢が濃厚になって来た時に学徒動員が行われて大学から志願して士官候補生となった学徒兵も知覧に合流したんです。特攻兵達は「志願という形の命令」によって全国から集められます。特攻隊員達は知覧に集まり、早ければ2~3日で沖縄に向けて飛び立って行きました。その僅かな滞在期間の憩いの場が「富屋食堂」だったそうです。

鳥濱トメさんは特攻兵達へのせめてものはなむけにと私財を売り払って酒、米、砂糖、小豆などのヤミ食材を調達。トメさんの分け隔ての無い愛と優しさはどれほど特攻隊員の心に残った事でしょう。そして憲兵に対しても「明日、死にに行く若者達に門限や検閲が必要なのか」と食い下がる場面もあるんです。トメさんのこの言葉は「遠い昔のことかも知れもはんが、いつまでん忘れる事ができもはん。みんな素晴らしか、美しか若者たちでございもした」飛び立って行った若者がいつまでも美しくトメさんの心に残っていたのが良く解ります。

-知覧-=特攻の基地というイメージがあったわたしです。あの時代、戦局が悪化の一途を辿っていた時に国を守る為、祖国の父母、兄弟、愛する人を守る為に懸命に生き飛び立って行った特攻隊員達。死にに行く若者を涙で見送った父母、兄弟、恋人達はどんな思いで特攻隊員を見送ったのだろうか?そして何を思っていたのか、と思うと胸に迫る物があります。涙が出て画面がぼやける場面も多々ありましたが、特攻に向かう若者達は誰もが守りたい物があるからこそ、特攻として出撃できたのだと思いました。悲惨な戦争を繰り返す事をわたしは望みませんが、戦争を体験した世代の人々から戦争を知らない世代に戦争、特攻、当時を必死に生き延びた人々の記憶は語り継がれなければいけないのだと思いました。

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コメント

*aprile さん

こんばんは。

ご覧になっていただけましたね。

当事者の思い、気持ちをおもんばかると
本当に言葉が出てこないですね。

あの振り向かずに
阿波踊りを踊るシーンが印象的でした。

投稿: 「感動創造」 | 2007年5月15日 (火) 18時32分

「感動創造」様
観て来ました。ちょっと重い映画ですが、これはわたし達が忘れてはいけない事実です。
「にいちゃ~ん」って飛び立つ飛行機を追う弟の姿はもう泣けました。
B’zの「永遠の翼」を聞いたら涙が出そうです。

投稿: *aprile | 2007年5月16日 (水) 13時06分

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